南キャン山ちゃんの「天才はあきらめた」読んで思った。オードリー 若林さんの時事切りは聞きたくないし、自叙伝は読みたくない

芸能

食わず嫌いというのは何事においても、チャンスを失う可能性のあるものであるし、食べてみたら意外といけた…ということは少なくない。

この時の私にとっては、あまり好きではない芸人、南キャン山ちゃんの本を姉に勧められた際に読まず嫌いでなく試しに読んでみたことで、思わぬ副産物が得られた。

読んだ本は「天才はあきらめた」という本。

正直、山ちゃんは若林と「たりないふたり」で共演してるから嫌いじゃないけど、ラジオを聞いたりはしない。日本万歳みたいな番組をたまに見ているが、番組に共感しないことが多いので少し苦手くらいか。

読み進めてみると、内容は山ちゃんの半生を追った自伝的エッセイというところか。吉本に入るくらい前くらいまで頑張って読んだのだが、私の苦手なラッパーの自分語りリリックみたいなコンプレックス強めの文章に抵抗があったので途中でやめた(食わず嫌いはしばし本当に苦手だったりすることを証明した)。

とはいえ、結婚おめでとうございます。蒼井優さんもおめでとうございます。蒼井優さん好きです。オードリーのANNは毎週欠かさず聞いているので、山ちゃんのご両親がとてもいい人で、山ちゃん自身もとてもいい人なんだということは知っている。春日さんもめでたいが、お二人にも幸せな家庭を築いていただきたいものである。

本筋に戻ろう。南キャン山ちゃんの文章は途中でやめたのだが、実はこの本には、オードリー若林さんのあとがきがある。だからこそ姉に借りて読んでいたのだ。本文を読んだ方があとがきを楽しめると思っていたので頑張っていたが、仕方ない。もうあとがきから読むことにした。

オードリー若林さんのあとがきで気づいたこと1

さて、若様のあとがきを読むと、リトルトゥースの私からすればラジオで聞いたことがあるような話が書いてあったので内容は普通ではあったが、一つ新鮮な喜びがあった。

それが、以前私が記事にした「人(にん)がある」という若林さん独特の表現に言及していたことだ。(「天才はあきらめた」にて)

・「オードリー若林が使う「人がいる(にんがいる)」の意味と表現に関する考察

おおよそ自分の解釈で正しいと思ったが、こういう表現が本やインタビュー、他人の著書へのコメントなんかで文章になっているんだなあと思い、若林さんの最近の著書は読んでいなかったが、読んでみることにした。

今の所「社会人大学人見知り学部 卒業見込」と「オードリーの小声トーク 六畳一間のトークライブ」は読んだ。両方とも面白いけど、とくに若林さんの初エッセイを収録している社会人大学人見知り学部はライトで読みやすい。普段本を読まない人にもおすすめの一冊だ。

だが、最近のキューバ旅行記「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」とひらがな推しで紹介されていた「ナナメの夕暮れ」は読んでいない。今度アマゾンで買おうかなと思う。

(実はこのあたりで若林さんには心境の変化がある。前者のエッセイは「社会への怒りや不慣れ感があった」、いわば西加奈子さんが言うところの童貞時代に書かれたものだが、後者のエッセイは「脱童貞時代」に書かれているため、文章の違いが気になっている)

ともかく、芸人に対して気になっていたことはやはり本人の言葉で書かれているのを見るとしっくりくる、という当たり前のことなのだが、これも読まず嫌いしていたら気づけなかったのでよかった。

オードリー若林さんのあとがきで気づいたこと2

そしてもう一つ気づいたというか、思ったことは…少し話を前後させるが、最近のラジオはやや退屈な時がある。というのも「山ちゃん結婚」「春日さん結婚」といういわばオードリーに近しい「芸能ゴシップ・ニュース」が誕生したことによって図らずもラジオで「時事切り」が行われていることだ。

春日さんがモニタリングで劇的なプロポーズを果たした直後にフライデーに報道された「春日さんの浮気」は、若林さんを憎しみに渦に包んだ(言い過ぎ感)。

しかし、若林さんは元来「時事切りは苦手」を自称し「時事切りはしないしできない。コメンテーターの仕事も断っている」と発言しているほどの時事切り嫌い。しかし、春日さんがいきなり不倫疑惑でスキャンダルされるとなると、さすがに発言せざるを得ず、ラジオでは春日さんの不倫疑惑糾弾の時間を取らざるを得なくなっていた。

もちろん、スルーすることはできただろう。しかし、ファンの手前、春日さんの不倫に対してコメントをしないなんてあり得ないし、火消しとしては的確な対処だったと思う。が、つまらないし、やめてーと思っていた。

もちろん本人も寒いのをわかってやっている。しかし、それもわかった上でやってるのも見たくない。そういうのはやらないのが若林さんの父親譲りの江戸っ子気質なところであり、魅力であり、、よくわからないけど、ファンとしてはそういう機微がきになるのである。

・「オードリー若林の父が、若林が売れるきっかけをつくった

まあ、若林さんはそういうのも「うるせえよ、お前には関係ねえだろ、勝手にさせろ。おれだってやりたくねえんだよ」っていうと思うけど、そういう江戸っ子気質なところは好き。

「天才はあきらめた」、それは若林さんへのメッセージ? プロレス開始か?

とまあ、長くなったがこんな風に「若林考」に花が咲いたのも、山ちゃんの「天才はあきらめた」を読んだおかげ。山ちゃんのファンは多分、ああいう語りも含めて好きなんだと思う。

だけど、僕は若林さんが山ちゃん的自分語り(自分の過去を振り返る自伝)を始めたら、ファン辞めると思った。

* * *

ちなみに、2015年2月28日のラジオで、若林さんは「センス匠なツッコミはやめた。だってつまらないから!」と言っていた。よくよく考えるとこの時期は山ちゃんとの出会いと同時期。

このあとがきであっさりと負けを認めているのを見て、当時の若林さんが少し強がっていることにも面白みを感じた。結果として、天才を諦めたのは若林さんだったのかもしれない。

タイトルとURLをコピーしました