歪み、歪み歪み、恋(短編小説)

「昔、ある国では人の肉を食う文化があった。共食い。そのことをカニバリズムと呼ぶのだが、現代人はカニバリズムに対してしばし「野蛮だ」「文明がない」そう評する。しかし本当にそうだろうか。

文明のない動物たちも、ふつう共食いをしない。否、共食いをする動物はいるのだが、それは限られているし、限られているということは生物本来の願望ではないだろう。

何が言いたいかと言うと、人は感情ではなく”理性を持って、人の肉を食らう”ことがある。

人の肉を食いたいと思ったことはあるか? ここについて私の主観を言って、みんなの思考を止めるのはよくないことかな。暇なときにでも考えてみて欲しい。

今日はここまでにしよう」

金曜日の4限。1週間で最後の講義が終わる

Wikipediaで調べれば5分で理解できてしまうようなスライドショーを使った講義が多い中で、類雄教授の文化人類学講義は特別面白い。学生におもねらず、それでいて学生を置いていかないテーマを追求する姿勢には、僕も親友の鷹山も感激している。

今日も鷹山と講義を終えて、リアクションペーパーと呼ばれる感想&出席表を兼ねた紙を提出して帰る。小さな教室に集まる30名くらいの学生たちはリアクションペーパーにぎっしりとコメントを書いてから帰る。僕たち以外も、類雄教授のファンなのだ。

「今日もおもしろかったな。類雄さんの授業終わりの雑談はいつも考えさせられるよ」

学食でサークルが始まるまで時間をつぶす鷹山に付き合っていた。日はまだ長く、17時になってもまだまだ明るい。

「そうだな。鷹山はさ、人の肉、食いたいと思ったことある?」

「なんだよ、あるわけねえだろ。でもカニバリズム?あれって東京グールみたいだよな。人の肉食って力が増幅して強くなったり? そういう信仰でもあったんじゃねえかな。あと昔聞いたことがあるのは日本のある地域でも、葬式にお骨をかじる程度に食べるひとたちはいたらしいぜ」

「なんで骨なんてかじるんだ?」

「おれも聞いた話だから詳しくはないんだけど、死者の霊魂を自分の中に残したくて? とかだったような」

「ふーん。変わってるというか、難しいな。」

「おまえこそ人の肉食いたいと思ったことないのかよ」

鷹山に聞かれて、なぜか答が詰まった。

「あるわけないじゃん」

笑いながら返したが、笑顔が引きつっていた気がした。

「そうだよな。つうかこんなとこで人の肉食う話なんかしてたらやばいやつらだと思われるよ! もうサークル行くからじゃあな」

鷹山は飲んでいたイチゴミルクのパックを握りしめて席を立った。高校以来の友人がである鷹山は、身長は170センチちょっとしかないのに柔道をやっていたせいでかなり大きく見える。大学に入って3年半。もうしばらく経つというのに友人は片手で数える程度しかいない。そろそろ帰るか、と思ってリュックを背負う。西洋風が売りの食堂を外に出ようとしてドアを開けると声をかけられた。

「あ。影ミくん。もう帰りなの?」

この子は学部がおなじ羽根葉月さん。片手の中のひとり。

「おお、そうだよ。羽根さんは?」

「私ももう帰りなんだけど、飲み物買ってこうと思って。一緒に帰らない? 方向一緒だったよね?」

「いいの?一緒に帰ろうか。」

羽根さんは僕と同じ、小田急線ユーザーだ。と、いっても新宿から1時間も電車に乗る僕とは違い、彼女は新宿から数駅のところに一人暮らしをしている。大学は池袋にあるから、30分くらいは一緒にいられるわけだ。

彼女とは大学1年のとき、たまたま取った新聞学の講義で一緒になった。講義というよりも10名ほどしかいない少人数のゼミのようなクラスで、上級生がほとんど。入学したての僕と彼女には荷が重かった。数週間して同じ文学部の講義に出ている時に話をして以来、共通の敵を持つ僕たちは仲良くなり、ゼミを一緒に受けるようになった。

ゼミが終わってやや疎遠になると思ったが、夏休みに鷹山と遊びに行った新宿のショッピングモールで偶然会った。海か山で会えればよかった気はするのだが、現実はこんなもんだ。1人で買い物をしていた彼女を誘い、3人で食事をした。それ以来大学でもフランクに付き合うようになった。

僕はその食事の日に、彼女の手首に恋をしてしまった。

美しい顔立ちをしていて、長くすらっとした黒髪も印象的だし、なにより優しい。僕みたいな冴えない男には高嶺の花だった。

しかしまあ、そんなことは大学で会った時から知っていた。しかし、夏休みに薄着になっていた彼女が、食事のときに箸を取ろうとしたとき。腕を伸ばした反動でめくれた袖の隙間から手首が見えた。手首が目に入った途端、ぼくの心が不気味に揺れたのだ。

「どうしたの? 影ミくん」

駅に近い公園を歩いているときに、羽根さんに呼ばれて正気に戻る。

「あ。ごめん考え事をしていたんだ」

横目で手首を見る。

「そう、そういえばさっき鷹山くんと話してたけど、何の話してたの? けっこう盛り上がっていたみたいだけど」

「ああ、あれは高校の友達がカフェ始めるからって、その話してたんだ」

友達がカフェを開くのは本当だが、内容は隠した。

「へー!どこでひらくの? もう行った?」

「高田馬場だってさ。もしよかったら明日鷹山と行くんだけど、一緒に行く?」

「いいの? ちょうど暇だったの。行く!」

無垢な笑顔で喜ぶ羽根さんは愛おしかった。

二日後の朝刊一面に、ぼくと羽根さんが載ることになるとは、知らない無垢な笑顔だった。

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