オードリー若林が使う「人がいる(にんがいる)」の意味と表現に関する考察

芸能

オードリーのオールナイトニッポンを繰り返し聞いていると、たまに若林が話す「人(にん)がある」という言葉が引っかかる。なんとなく意味はわかるのだが、芸人用語かな? と思って検索をしても正式な言葉ではないのだろう。何も検索には出てこない。

おそらくは若林がある特定の概念のことを「人がいる(人がある、にんがある)」として称してきたのだろう。

例えばこんな使い方だ。

・大喜利に人(にん)がある

人(にん)が出てる漫才だ

人(にん)が出てないんだよね!

漢字にするとわかりやすい。この言葉の前後にはこういう言葉を用いている。

・「生き様」が出てる

・「人柄」が出てる

例えばこういう感じ。

若林 春日はさ、大喜利を頑張ろうとしすぎると途端に何も出なくなるけど、やっぱり人がでないからだろうね。堂々としてさ、俺は春日だ! ってやってればいいんだけど。人が出てないとやっぱりだめだよね。

つまり「人がある(にんがある)」というのは、人柄、生き様、その人らしさが現れているという意味で使っているのがわかる。

お笑いの表現には技法や型より「人(にん)」が大事

以前ワタナベエンターテインメントのスクールに通っていた友人から聞いた話だが、ワタナベという事務所に所属している芸人はデビューが早いらしい。しかも芸事で売れた後にバラエティでも売れる芸人が多いそうだ。

昔からいる芸人だとネプチューン、ホンジャマカ、TIM、 ふかわりょう、ビビる大木など、最近ではアンガールズ、ロッチなど。あとは厚切りジェイソン、イモトアヤコ、ブルゾンちえみ、サンシャイン池崎なんかもワタナベだ。

どうしてそういう芸人が多いのか? と聞いてみると、友人はこう言っていた。

「ワタナベは芸で売れた後にバラエティで活躍できるような指導をする。方法はその人らしさを引き出す笑いの作り方を教えること。自分らしさや本質を突き詰めて芸にして売れると、バラエティに出てからも芸と同じ方向性で番組に出て活躍できるから、テレビと相性のいい芸人が生まれる」

なるほどと思った。売れている芸人はそのひとたちらしさが漫才やコントにも出ている気がするし、その人らしさが漫才だけじゃなくてテレビの場面にも出ていると思う。他の事務所の芸人もらしい芸を作っているとは思うが、それを指導方針にしているのであれば、なおさら「売れやすい」芸人は育つのだろうと思った。(普通は芸を磨く中で、自分らしさを面白く加工する方法を見つけると売れるんだと思う)

若林の話す「人がある」を聞いて、この話を思い出した。人がある漫才や大喜利、もとい芸風はおそらくその人たちがどう見られたいかではない本質的な面白みがあるのだろうなと思った。

そして、若林はそういう人があるもので人を笑かすことを考えてずれ漫才にたどり着いているのだから、すごいなあと思った。

おそらくそれは人生に必要なもの

ただのお笑いかぶれ、お笑いに関しては若林さんの言うところの「観察者」である私だが、「人がある」ことはお笑い芸人以外にも必要なことだなと思っている。

大きく言っちゃうと人生。最近「私たちはどう生きるか」みたいなタイトルの本(適当)が流行っていた(はやっていた?)が、その答えは明白で自分の人生を生きられればそんな結末だろうといい人生だったなと終われると思う。

でもその自分らしい人生を遅れなかったら後悔するだろうし、後悔する方向に流される人は「私たちはどう生きるか」みたいな本を読んで感動してしまう人だろうと思う。

オードリーのオールナイトニッポンに出ていたふかわりょうは自分らしくない芸をやっていることに耐えられなくなって闇落ちした。歌手のYUIも闇落ちしていたし、売れても意味ないんだなと思い知らされる。

普通のサラリーマンである私もクソみたいな上司とクソみたいな仕事に囲まれて他人の人生を生きていたら死ぬだろうなと思うし、思いもない、自分もないものを作り続けるなら死んでるようなもんだなとよく思う。

若林さんの言う「にんがある」って言葉で考えすぎてる自分は大概自意識がすごいと思うが、面白い表現だなと思ったので書いてみた。

ただ、人を出すのは勇気がいる。

人を出したくて出せなくてもがき続けた人の本はこちら

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