平日は普通に働いているのに、土日になると途端に鬱みたいに暗くなることがある。
今の時期は花粉がとんでいるからか、鼻と喉の調子が悪いせいでもあると思うのだが、それなら平日にも鬱みたいになっているはずだ。(実はなっているが、土日のほうが調子が悪い)
鬱みたいにぼんやりとしながら、どうしてかなあ、、怖いなあ、、と思っていると思い当たる節が2つあった。
一つは仕事で嫌な出来事が金曜日の夕方にあったから、それをずっと考えてしまっていること。頭が切り替えられていないことに気づいた。脳(脳の中でも集中を司る前頭葉)は複数のことを同時に考えているときにとても消耗している。ヨガや瞑想というのは考えることを制御することを意図的にする=一つのことに集中する方法だが、それがリラックス効果を持つのは複数の物事を考えることを制御することができるため効果がある。
私の場合、仕事のことを解消できていないから、脳が疲弊していることを実感した。しょうがないので不平不満、週明けにすることを全てまとめて書き出して、土日に考えても仕方がないと自分を納得させられるまで考えた。(結局モヤモヤはしているが、多少ましにはなっている気がする)
もう一つは、三連休の最終日は意思がとにかくなかった。朝起きてから寝るまで「今日はこれをしよう」「今日は何時にここに行こう」という意思を持って過ごした瞬間がとにかく一度もなかったのだ。
もちろん食事をしたり排泄をしたりはしているが、あんなんは意思ではなくて感情に動かされているだけだ。
自分の意思で生活に意思決定をして、進んでいく感覚が全くない。仕事とのギャップが大きすぎるのだ。生きている感覚もなくなるわけだ。
ということを感じたため、1日の終わりに一つでも意思を持って何かをしよう、、と思い立ち日記を書くことにした。
昨日・おとといはなんとか過ごしたんだけどなあ。。
余談だが、一人でいる時間は最近常にラジオを聞いていた。動画配信サービスとradikoを使って。ラジオは本当に大好きなのだが(ラジオといっても有吉弘行さんのラジオとオードリーさんのラジオしか聞かないけど)、僕みたいなADHD気味の人間がラジオにハマると今は聞こうとおもえば永遠にアーカイブを聴けてしまうし、いやほで聞くと世間への意識を遮断してしまうし、寝る時でさえイヤホンをつけて聞こうとするから寝不足にさえなる。
聴き始めた時期は本当に鬱みたいな時期だったから、ラジオのおかげで鬱を脱却できたのだが、今みたいな健康な時期はラジオ依存で逆に健康を害しているとさえ思う。
とはいえ、僕みたいなもんは人間としてバランスを欠いているので、ほどほどに付き合う必要があると思っても、そう簡単に保てるはずもなく。少し前の時期みたいに全く聞かなくなるか、あるいは今のように依存するかを永遠に綱渡りするしかないのである。
人生の栄養剤とも言える部室ラジオと貧困ラジオに対して、永遠のお別れという手切れ金を渡す日は来て欲しくないが、来ないとそのうち死ぬかもしれない。
おっと、日記を書いたことで意識がほんの少し現実に傾いた気がする。
以上。おやすみっふぃーちゃん